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熊本地方裁判所 昭和56年(わ)107号 決定 1985年4月25日

主文

本件異議の申立てを棄却する。

理由

第一本件異議申立ての理由の要旨

本件異議の申立ての理由の要旨は、前記カルテ写綴(以下「本件カルテ」という。)は、熊本地方裁判所裁判官が発付した捜索、差押許可状(以下「本件許可状」という。)による捜索差押の許可により収税官吏が捜索差押を行つた(以下、これを「本件捜索差押」という。)際差し押えたものであるところ、本件許可状には差し押えるべき物件としてカルテの記載がない上、差押の必要性もなく、また、本件カルテは医師である被告人が業務上委託を受けたため保管する物で他人の秘密に関するものであるから、被告人はその押収を拒絶できるにもかかわらず、収税官吏らは被告人の承諾を得ないで、かつ被告人に押収拒絶の機会も与えないまま右差押を行つたので右差押手続には重大な違法があり、したがつて、本件カルテは証拠能力を有しないというものである。

第二当裁判所の判断

一本件許可状の差し押えるべき物件の記載について

本件カルテの差押は国税犯則取締法二条に基づく本件許可状によつてなされたものである(したがつて、右差押に当たり犯則嫌疑者であつた被告人の承諾を得る必要はないから、この点に関する主任弁護人の主張は理由がない。)が、本件許可状によると、これには差し押えるべき物件として「本件所得税法違反の事実を証明するにたりると認められる一切の帳簿書類・往復文書・メモ・預貯金通帳・同証書・有価証券及び印章等の文書ならびに物件」と記載されていることが認められるので、本件カルテがこれに含まれるか否かにつき検討する。

本件許可状に記載された右帳簿書類とは、事務上の必要事項を記入した書類であつて、つづりひも等で結束するなど一定の秩序の下に管理されたもの又はこのような形で保管されることを予定した書類をいうと解されるところ、カルテは医師が患者を診察した結果を記載した診療簿であり、一定の秩序の下に管理されるものであるから、カルテが右帳簿書類に該当することは明らかである。なお、本件許可状と同日に前記法条に基づいて同一裁判官によつて発付された同一犯則事件の臨検許可状によると、これには、臨検すべき物件として「現金、有価証券、カルテ、在庫品などの物件」と記載されていることが認められ、カルテの記載がある点で本件許可状と相違はあるものの、甲作成の証明書と右各許可状によれば、右各許可状に記載された物件はそれぞれの交付請求書記載の物件と同一であつて請求書どおりの内容で発付されたにすぎず、右臨検許可状交付請求書には「犯則けん疑事実の要旨」として「……分娩・中絶等による収入金の一部を、日計表の改算等の不正手段方法により、収入金を隠ぺい仮装し、……」との記載があるのに対し、右捜索、差押許可状交付請求書の「許可状の交付を請求する理由」(同請求書には右要旨の記載はない。)には「……その取引を仮装隠ぺいし、……」との記載しかなく、仮装隠ぺいした収入の費目や不正行為の内容の記載がない等右各交付請求書の犯則事実の記載の仕方にも相違があり、各交付請求書、即ち右各許可状の物件欄に有価証券だけが重複して記載されていること等が認められ、これらを考慮すると、右各許可状の物件の記載は必ずしも整合性を有するように配慮されていたものとは認められないのであつて、医師を所得税法違反の犯則嫌疑者とする本件のような場合において、カルテという記載そのものがないからといつて直ちに本件許可状の差し押えるべき物件の記載が格別カルテを除外する趣旨であるとは到底解することができない。

二本件カルテの差押の必要性について

主任弁護人は、カルテの差押には、その重要性を斟酌し、証拠隠滅、逸散、証拠価値の減少の危険につき相当の蓋然性があり、捜査技術上強制処分によらなければ右各危険を防止しえない状況にあるという差押の必要性を要するところ、本件においてはその必要性を欠いていたと主張するのである。

しかしながら、国税犯則取締法二条一項にいわゆる差押の必要あるときとは、差押物が犯則事件の証憑となるべきものであると思料される場合であつて、犯則事件の態様、軽重、差押物の証憑としての価値、重要性、差押物が隠滅毀損されるおそれの有無、差押によつて受ける被差押者の不利益の程度その他諸般の事情に照らし明らかに差押の必要がないと認められるときにあたらないときをいうと解するのが相当である(刑事訴訟法上の差押につき、最高裁昭和四三年(し)第一〇〇号同四四年三月一八日第三小法廷決定・刑集二三巻三号一五三頁参照)から、所論は独自の見解であつて、採用することができない。

ところで、前記証明書によれば、本件捜索差押当時の本件犯則事実は、産婦人科病院を営む医師である被告人が昭和五二年度ないし同五四年度分の所得について、取引を仮装隠ぺいし、実際には申告額を上回る所得があるにもかかわらず、所轄熊本東税務署長に対し、過少な所得金額を記載した確定申告書を提出し、もつて不正な行為により多額の所得税を免れた疑いがあるというものであつたと推認されるところ、右犯則事実の内容、本件カルテの証憑としての価値、重要性、右カルテの隠滅毀損されるおそれ等に照らすと、本件カルテについて明らかに差押の必要がなかつたとは認められない。

三国税犯則取締法に基づく差押と押収拒絶権について

国税犯則取締法による国税犯則事件の調査手続は、その内容として収税官吏の質問、検査、領置、臨検、捜索、差押等の行為が認められている点において刑事訴訟法上の被疑事件の捜査手続と類似するところがあり、また、犯則事件は、告発によつて被疑事件に移行し、更に告発前に得られた資料は、被疑事件の捜査において利用されるものである等の点において、犯則事件の調査手続と被疑事件の捜査手続とは互いに関連するところがあるけれども、国税犯則事件の調査手続は国税の公平確実な賦課徴収という行政目的を実現するためのものであつて、刑事訴訟法上の被疑事件の捜査でないことが明らかであることに間接国税犯則事件については通告処分という行政措置によつて終局することがあることも考慮すると、現行法制上、国税犯則事件調査手続の性質は、一種の行政手続であつて、刑事手続(司法手続)ではないと解すべきである(最高裁昭和五八年(あ)第一八〇号同五九年三月二七日第三小法廷判決・刑集三八巻五号二〇三七頁、同昭和四二年(し)第七八号同四四年一二月三日大法廷決定・刑集二三巻一二号一五二五頁)。

そこで国税犯則取締法に基づく差押手続について、刑事訴訟法一〇五条と同様の制限があるか否かに関し検討するに、刑事訴訟法一〇五条は、業務者に押収拒絶権を与えることによつて秘密を委託される業務及びこの業務を利用する社会人一般を保護することにより、業務上の秘密の保護という超訴訟法的利益と、実体的真実の発見という訴訟法的利益との調和を図つた規定であると解されるところ、国税犯則取締法による犯則事件は、間接国税以外の国税については同法一二条の二又は同法一七条各所定の告発により被疑事件となつて刑事手続に移行し、告発前の右調査手続において得られた資料も右被疑事件についての捜査及び訴追の証拠資料として利用されることや、実体的真実の発見がより大きく要請される刑事手続においてすら右のような趣旨から押収拒絶権が認められていることも考慮すれば、本件のような国税犯則取締法に基づく差押手続においても右の趣旨は推及されるべきであり、刑事訴訟法一〇五条と同様の制限があるものと解すべきである。

四押収拒絶権行使の機会について

本件のように業務者自身が犯則嫌疑者となつている場合にもその業務者に押収拒絶権が認められるか否かは議論の分かれるところであるが、この点はさておき、主任弁護人は、本件カルテの差押をするについて、被告人に対し右押収拒絶権を行使する機会が与えられなかつた旨主張するので、先にこの点について判断する。

国税犯則取締法二条に基づく捜索差押許可状により捜索差押を行うについては、手続の公正を担保するため、刑事訴訟法一一〇条の趣旨を推及し、右許可状を処分を受ける者に呈示すべきものと解するのが相当である(東京高裁昭和四四年(う)第二八〇号同年六月二五日判決・高裁刑集二二巻三号三九七頁参照)が、第一八回公判調書中の証人乙の供述部分によれば、本件捜索差押をするに当り、本件許可状は被告人及びその妻丙に呈示されたことを認めることができる。

本件カルテの差押を行うに当たつて必要とされる要件は右の呈示のみで足り他に必要な要件はないから、仮りに犯則嫌疑者たる業務者である被告人に押収拒絶権が認められるとしても、被告人は本件許可状の呈示を受けて押収拒絶権を行使する機会を与えられていたにもかかわらず、これを行使しなかつたものというべきであつて、本件カルテの差押には所論の違法は存しない。

五結論

以上のとおりで、その余の点につき判断するまでもなく、本件異議の申立ては理由がないことに帰するから、刑事訴訟法三〇九条三項、刑事訴訟規則二〇五条の五によりこれを棄却することとする。

(池田憲義 仲戸川隆人 須田啓之)

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